この記事を読むのに必要な時間は約 8 分です。
どーもジャガーです。
残念な訃報が入って来ましたね。
中国の人権家で平和活動家の劉 暁波さんが死去されました。
今回はこの件を追ってみたいと思います。
劉 暁波経歴
名前:劉 暁波(りゅう ぎょうは)
生年月日:1955年12月28日
年齢:61歳
出身地:中華人民共和国の旗 中国・吉林省長春市
劉さんは吉林大学にて文学を学んだ後、今度は北京師範大学に進学し更なる学びに没頭しました。
この師範大学と言うのは日本で言うと所の「教育大学」に相当します。
同大学にて修士の学位を取得後に同校にて教職の職に就かれ博士号を取得したのちにコロンビア大学、ハワイ大学、オスロ大学など海外の名門大学に招かれ客員研究員として活動されました。
余談ですが師範大学は教職に付くものが進学するらしいのですが最近では師範大学を卒業しても教職に就かない学生が増えているんだそうです。
これも時代なのでしょうか?
1989年に中国で学生達が民主化を求めた運動、俗言う「天安門」が起きるとこれを支援する為に留学していたアメリカから即座に中国への帰国を決め活動に参加しました。
天安運動と言うのは主に学生たちが中心となり中国の民主化を訴えた運動でこの年は6月に天安門事件に同年の11月にはあの有名なベルリンの壁崩壊が起きて何か世界中で大きなうねりみたいなものを感じた年でもありました。
劉さんは天安に於ける四君子の一人とされ天安運動やその後の中国民主化運動に於ける中心的な存在であり象徴的な人物です。
天安門運動には最大で100万人の人間が参加したと言われており、多くの学生が参加した結果中国の首都機能は麻痺し規模こそ大きかったものの単なるデモ運動を武力で鎮圧した中国政府への国際社会の批判は凄まじく当時中国に対し各国は経済制裁を発動し圧力を加えましたが中国側の要請により現在の日本の天皇陛下が中国を訪中した事から各国の中国への経済制裁が解かれ、これ以後中国は市場開放を推進し共産主義国家でありながら民主主義国家の市場原理主義取り入れ経済大国への道を突き進みました。
しかしこの中国政府つまり共産党指導部による武力弾圧は天安門運動を天安門事件になり中国の歴史の汚点ともなりました。
中国はこれを逸らすために天安以降に反日教育を国策として始めこれが後に二度に渡る中国の日本企業への襲撃、反日暴動への起因の一つとなります。
中国では天安事件以降に生まれた子供は天安事件の事を知らない子供が多いです。ジャガーの知り合いにも中国人の学生の知り合いが何人かいてこの件を話したところ、全くこの事を知らなかったと言っていました。
中国では天安事件の事は学校でも教えていないそうです。
それだけ中国政府に取って隠蔽したい事実なので天安運動に参加した学生達には苛烈な境遇が待っていました。
天安運動に参加したリーダー格の学生や人物が次々と中国から国外へと脱出を図りましたが劉 さんは中国にその後も残り続け活動を続けました。
劉さんは2008年にインターネット上で中国の著名な人物303名の一人として中国の三権分立と民主化を叫んだ俗に言う零八憲章(08憲章)の発起人の一人として連名し強く中国の共産主義の終わりと思想、人権の尊守を叫びました。
2010年にはその功績が評価されてノーベル平和賞が授与されましたが劉さんは中国政府により投獄されていたので獄中受賞と言う異例の受賞となり注目を浴びました。
中国在住でのノーベル賞受賞は劉さんが初だそうですが、残念ながら上記の理由により受賞には参加する事ができなかったのです。
天安門事件以降は劉さんに対しては厳しい監視や投獄が続き過酷な人生でしたが劉さんは己の信念を最後まで貫きました。
死因は
劉 暁波さんの死因は肝臓がんで末期の状態でした。
これによる多臓器不全が直接の死因です。
そして交際社会、主にフランス、ドイツ、アメリカなどが劉さんの国外への移送と治療を中国政府に求めていましたが中国政府が劉さんの溶体悪化を理由に拒否していました。
しかしフランス、ドイツの連合の医師の調査チームは中国で直接劉さんを診察し国外への移送は可能であるとの見解を下していました。
そして7月10日に危篤状態となり7月13日に劉さんは薨去されました。
今後の影響は
先ず中国政府が恐れているのは中国の民主化運小津の象徴的な存在である劉 暁波さんが死去により再び中国で民主化への運動や声が高まる事です。
共産国家で一党独裁体制の中国にとってはこれは防ぎたい筈なので劉 暁波さんの訃報は中国国内では余り大体的には報じられないと思います。徹底した閉口令が敷かれると予想されます。
また劉さんの出国を認めなかった事による国際社会からの批判についても中国は内政干渉であると突っぱねるでしょうし治療も適切だったと述べるでしょう。
中国としては劉さんの話題を逸らすために何らかの話題作りを他にしようとするかも可能性があります。
中国は過去国内の不満を逸らすために日本への反日運動をして来た過去がありますので今回はどうなるでしょうか?中国の今後の動向が注目されるところではあります。
嫁と子供はどうなる?
劉さんには劉霞さんと言う奥さんがいます。
劉霞さんは側で劉さんの活動を支えて来た伴侶で夫の劉 暁波さんと並んで奥さんの劉霞さんも中国政府により自宅軟禁下により監視されています。
劉さんと奥さんの劉霞さんには子供がいるのかな?と調べましたがお子さんの存在については確認できませんでした。
もしかしたら、居ないのかも知れませんね。
劉さんと奥さんの劉霞さんの仲は良く劉さんも奥さんの劉霞さんの事を気にかけていたみたいです。
奥さんの劉霞さんは抗うつ状態にあるとの事なので最愛の夫の訃報によりショックが大きいでしょうから今後が心配ですね。精神的なケアが望まれるところではあります。
まとめ
いかがでしたか?
今回は中国に於ける民主化運動の父とも言える劉 暁波さんの訃報のお話でした。
劉 暁波さんの波乱万丈で激動の人生でしたが己の思想、信条を貫徹したその信念は多くの人に支持され影響を与えました。
劉 暁波さんのご冥福をお祈りすると共に今回はここで終わりとさせて頂きます。
最後までお読み頂きありがとうございました。
それでは失礼致します。
コメントを残す